お侍様 小劇場

   edge of supposition (お侍 番外編 42)

 


そこは夜陰の帳
(とばり)が垂れ込めた空間で。
光が射さぬだけじゃあない、
これといった物音もせず、周辺から気配も立たぬ、いやに静かな場所であり。
ほんの数刻前まで立っていた、
一流ホテルのラウンジロビーとは大違いの寒々しさで。

「このようなところに連れ込んで、後でどうなるか判っているのだろうなっ!」

自分の居場所が不確かなこと、自由が利かないことへの不安も、
今のところはまだ何とか、抑えが利く。
自分の権威を怒号でもって主張することで解決すると、
これまでがそうだったのと変わらぬのだと未だ疑わないでいる。

「大した自信ですね、ミスター。」
「…っ?!」

人の気配は確かにあったが、それがどこにいるのかは判然としなくって。
反応を拾って足掛かりにでもしようと思ったか、
それもあっての怒号を上げた彼だったらしく。
ほのかに安堵をにじませた笑いを口元へと浮かべると、
声がした背後を、されど振り向きもせずにいる。

「どこの誰かは知らないが、誰ぞに頼まれたのだろう?
 反対勢力か?地下勢力か?
 まさかに市民団体なんていう、ちゃちなところの依頼じゃあなかろう。」

踏ん反り返る姿勢が伺える口調も平生のそれへと戻っているのも、
交渉するつもりがあるような相手ならば、
自身の威容を知らしめることで、
言いくるめるか、あわよくば平伏させることさえ出来ると思っているからだろう。
居丈高な言いようで、勝手にいろいろと並べる彼へ、

「そのような“依頼”で動いちゃあいません。」

先程の声がなめらかに応じる。
突き放すようでもなく、責めたり詰ったりという気配もない、
感情こもらぬ極めて事務的なそれであり、
だのに、拉致にも等しき略取を、誰かの依頼ではないと言う。

「何かしらの義憤か?」

そういう手合いの中には、激高しにくい連中もたまにいる。
自分が正義の代行者だと思い込んで、
事務所へ脅迫文を送って来たり、
いかにもな糾弾文書をマスコミへ届けたりする輩。
どうやって調べるものか、詳細綴った資料までつけていることがあるけれど、

「どんな確証とやらがあるのかは知らんが、
 誰へ何を言ったって無駄だぞ。」
「ほほお?」

それはまた何故?と訊きたいような抑揚へ、

「誰も信じぬからだ。ワシの怒りが怖いからな。」

世間を、社会というものを知らぬ頭でっかちはこれだからと、
相手にもならぬわという嘲笑が つい洩れる。

「ワシがどれほどの人脈を持ち、どれほどの発言権を持ち、どれだけ影響力があるかを知らないのだろう。表立ったところには立たぬに、それでも顔役だと気づいたは大したものだがな。その分、何でも握り潰せるだけの力を持つ。困った連中が泣きついて頼りにするほどものな。マスコミも世論も、結句強い者には巻かれるのだ。」

一気にまくし立てたその語尾が消えぬうち、

「政治家で、福祉関係の要職にある人物のお言葉とは思えませんが。」

やはり淡々とした声が返って来た。

「大きなところでの采配は、成程、大英断をてきぱきと下してもおられるようですが、
 ご自分の周辺に限っては、随分と無茶をなさってもいるのでしょう?」

傲慢な対処、心ない処遇。
しかもあなたは大病院の院長も兼任してられて、
そこでの最終判断を今なお自分へまで上げよという傲慢な管制をなされてる。

「多少犠牲が出たところで、大事の前の小事とあっては已をえんわ。」

心当たりがない訳ではなかったが、それこそ取るに足らない衝突やトラブルだろと、
高をくくって撥ねつけて、

「ああそうか、不幸な事故が幾つかあった話を蒸し返そうというのだな。
 あれは担当者のミスと方がついておろうが。」

くだらないと見下すように言い放ち、

「大体、あれで亡くなったのは平凡な家庭の子供じゃあないか。
 あのまま長らえてもたかが知れてる。
 世の役に立つ存在になれたかどうかも判らない。
 このワシを煩わせる価値もないと……っ。」

不意に。
真っ正面から何かが飛んで来た。
ガツンと当たったそれ自体はさして痛くはなかったが、
額に当たったそのまま、
結構な体格をしているこちらの身を、
足元から浮き上がらせての一気に宙を滑空させて。
次に襲い来た、背中全体への強打という衝撃までの刹那を、
長いんだか短いんだか、曖昧なひとときにしたほど、
不可思議な存在の強襲であり。

 「き、…お館様。そうそう急くこともありませんでしょうに。」

何か言いかけ、言い直した声が、
丁寧に諭すような言いようだったあたり。
こんなにも短気で直情的なことをした者こそが、
だってのに彼より目上の頭目格であったらしく。

 「…。」
 「はい。では、あとは我々で。」

気配さえかすかにしか届かなかったその存在は、
だが、結構な統制力をも持ってもいるのか。
どんなやりとりがどう交わされたやら、
その場は部下へと任せて立ち去ったらしい。
とはいえ、何でもかんでも顎での指図で片付けるような、
ずぼらで鷹揚なお人じゃあないことは、ここにいる皆して重々承知。
壁に当たった背中が粉砕されたような気がして足元へ頽れ落ちた、
大樽のような身をした某政治家医をひょいと…
闘気もためずの掌打一閃で薙ぎ払ったのみならず。
ラウンジでのすれ違いざま、分厚い脂肪も何のそのとの当て身をかまして、
そのまま軽々と掻っ攫った実行犯でもあったりし。
そういう技能のみならず、心根も真っ直ぐで尋深く、
まだまだお若いが、慕うに値する頭目様であり。

「有権者への遺言はきっちりと録音させてもらったことだし。」

ぱちりとスイッチを切る音がし、今のやり取りは収録したと言いたいのだろう。
だがだが、そんなものは

「どこへ持ってっても公開出来ぬと。
 これまでの蓄積で知っていると仰りたげですが。」

座り込んだそのまま、開き直ったようにも見える態度を見せる医師殿へ、
最初の声が、やはり滑らかに紡ぎ、

「あなたの所属する政党も、そうそう下院もです。
 あなたへの逮捕を許諾する旨、可決してくださってるんですよ。」
「な………っ?」

皆さん、自分の身が可愛いんでしょうねぇ。
そろそろ総選挙も間近いし、それに、

「あなたは少々やり過ぎた。
 医療処置へのいい加減な采配も許せぬが、
 あなたの周辺で行方をくらました女性や子供が多すぎる。」
「う…。」
「もてあそんだ挙句、臓器売買へ回したか。
 いえ、どうせ言いはしないのでしょうから、こちらで捜査は進めております。」

 そうそう、無事なまま幽閉されてた女性たちも解放しときました。
 あなたへもそう、公の裁きは下されませんからご安心を。
 これ以上の凌辱は、被害者やそのご家族たちが可哀想ですからね。

 「その代わり、あなたにはその幽閉所へ入っていただきますね。」

 暗い森の奥深く、あんな危ない吊り橋の向こうによくもまあ。
 電気も通らぬままな、あんな石の牢獄 建てようとはねぇ。
 ええ、通いの世話係さんは、
 中にいるのはあなたが閉じ込めさせた囚人だと、未だ疑ってはおりませなんだ。
 お耳の遠いお人なんで、なかなか話が通らないのが骨でした。
 御存知でしたか? 今は目のほうもお疲れらしいですよ?
 あなたを見分けるのは難しいでしょうねぇ。
 もちろん、そのおじいさんだけでは心許ないので、
 私たちも交替で見守ってて差し上げますよ?

冷たい声はそうと言い、
怒りかそれとも絶望からか、
わなわなとその身を震わせる醜悪な存在へ、
にぃと笑って付け足した。



  「どうぞ、ご案じのなきように。」







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